アルミハウスプロジェクト

アルミニウム産業におけるアルミハウスへの挑戦

戦前、戦中、軍需産業であったアルミ産業は、戦後になり、平和産業として、経済復興を担い成長しました。今回は、戦後から2002(平成14年)年5月にアルミ建築構造が認定されるまでを概観します。

平和産業としての第一歩

 戦後のアルミ産業は、1948(昭和23)年のアルミ製錬の再開、49年の「重要資材使用制限規則」の解除によって、平和産業として始動しました。46年に設立した軽金属協会の下、50年に、自動車、鉄道車両、船舶部門などとともに、建築用軽金属委員会が組織され、軽金属工事の建築工事標準仕様書原案の作成、軽金属建築ハンドブックの刊行など、アルミの建築部門の普及に努めました。
 同時代のアルミハウスへの挑戦としては、星野昌一氏などの指導の下、日本建鐵が47〜51年までに制作した軽金属組立家屋試作第1〜5号が挙げられます。これらは、特殊波型のアルミ板を貼った外壁パネルに、薄鋼板の折曲げ材(軽金属の押出材も検討)あるいは木材を骨組とする不燃住宅で、試作に終わりました。星野氏は、戦災での住宅不足420万戸に対して、国内外での木材確保、熟練した職人の育成に危惧を持ち、「軽量」「堅牢」「正確」な軽金属造による工業力の活用を、都市防火も併せ、訴えました。
 50年の小田原子供文化博覧会には「軽金属製円形理想住宅」が出展されました。金子徳次郎氏が当時海外で普及していた組立住宅の研究を基に設計し、古河電工のアルミ波板65枚(厚0.3 ㎜、3尺×6尺)、神鋼金属のアルミ平板50枚(厚0.5 ㎜、1m×2m)、アルミ総量約150㎏を用いて組み立てられました。波板は庇裏、外貼り、下見板に、平板は平葺の屋根、ドア、樋などに使用され、波板の外壁は円形です。建設費は約25万円で、展示後、革新的な簡易文化住宅として数軒の受注があったようです。
 また、57年の建設省主催「これからの街とすまい展」に、軽金属協会はアルミ業界の協力の下、耐震、不燃架構のアルミモデルハウス(15坪の鉄筋コンクリート造)を製作、展示しました。アルミ瓦棒葺の屋根、アルミ板製の樋、アルミリブ板貼の外壁(一部)、アルミの外廻り建具、アルミエンボシング板の内壁、アルミ吸音板・アルミ箔貼の天井、そしてアルミ箔利用による三層断熱の保温保冷壁など、個人住宅として可能な限りアルミを使用しました。アルミの台所、風呂桶、家庭用日用品とアルミ蒸着の什器備品まで設置されました。

アルミ産業における住宅産業への参入

 昭和30年代になり、アルミの建築用途は、住宅のサッシ、ビルのカーテンウォールは元より、スパンドレル、屋根、天井吸音板などに広がりました。さらなる建築用途の増大を狙い、ポストサッシとしてアルミの建築構造を普及するために、建築用軽金属委員会は61年に、建築業界にも向けて「アルミニウム合金の建築構造」と「アルミニウム建築構造計算基準」を発刊しました。63年8月からは、意欲的な月刊誌『アルミニウム建築(a+a)』の出版も開始しています。
 着工住宅戸数50万戸時代において、59年にはダイワハウス「ミゼットハウス」が、翌年、積水ハウス「セキスイハウスA型」が発売され、プレハブ住宅メーカーが誕生しました。住宅のプレハブ(組立)、工場生産・量産化は、建築構造としてのアルミの研究と併せ、アルミ業界におけるアルミハウスの取組みを加速させました。 
 昭和30年代後半、同時代のアルミの普及活動を象徴する、軽金属協会の実施した3つの設計競技がありました。
 「アルミニウムを使用した乾式住宅設計」(1961)
 「アルミニウムを用いた組立住宅設計競技」(1962)
 「同上」(1963)
62年と63年の設計競技「応募の主旨」はともに「軽金属の有効な利用によって年々増加する都市火災の脅威を軽減し、地震、雷、風害、虫害にも安全な不燃性量産住宅建設に役立てば」とあり変わりません。ただし、62年の「応募条件ならびに心得」には「アルミニウムを軸組とする場合は自由な断面を考案してください」とあり、次の項ではアルミ材料の種類を板、条、押出形材など詳細に記述していました。次年は「パネルの枠や柱・梁、小屋組などにアルミニウムを使用する場合は適当な断面を考案する」とあるのみです。アルミの建築材、構造材、そしてアルミのプレハブ(組立)住宅の普及という狙いは明らかですが、ある審査委員の所感に「この競技設計はスタートから少し無理があったのではないだろうか。というのは、題の〝アルミニウムを用いた組立住宅〞は、これまで実在したことがないだろうし、応募者はもちろん、審査委員も未経験のものであったでしょうから少なくとも私は知らない」とありました。
 65年には、建築学界、大手建築施工会社、設計事務所が参加し、密接な連携と指導を得るために、建築用軽金属委員会は「アルミニウム建築研究会」に発展的に解消。69年にはアルミの総需要が100万t台に増大する中、アルミ企業は、多大な投資によってアルミハウスの技術を海外から導入し、研究、開発を推進させます。その結果として、5つのアルミ企業とそのグループは、4種のユニット、パネル構法と2種の軸組構法、3種の一般住宅と3種の別荘、レジャーハウス(写真、説明01〜06を参照)を住宅市場に供給しました。伊東豊雄氏も、71年にアルミ板の平葺の屋根、瓦棒葺の外壁である木造2階建を発表。あたかもアルミハウスの時代到来を思わせました。


*団体名、会社名は文中の時期で名称とします。

アルミ産業における大きな変革と新しいアルミハウス
~石油危機から2002年5月まで

 すべての産業が高度成長期、列島改造ブームを謳歌していた74年に第1次オイルショック、79年に第2次オイルショックが起きました。原油価格高騰、関係する製品の値上げ、便乗値上げ、「狂乱物価」、そして総需要抑制策によって、74年はマイナス1.2%と戦後初めてマイナス成長となり、高度成長期も終焉を迎えました。アルミ産業も例外ではなく、アルミ製錬は、1tあたり15千kWhの電力を要するために、電力価格の値上げによって競争力を失いました。72年から100万t(国内比70%台)を超えていたアルミ新地金の国内生産は、10年後の82年には35万t(国内比21.4%)と激減し、80年代の円高によって国内製錬からの撤退を余儀なくされました。「世界第一級の技術力を持っていた1つの産業が一夜にして崩壊し、製錬の数兆円の投資が一朝にして消えてしまった」と中山一郎氏(日軽金・元社長)は後に述べています。この激変の中、75年には『アルミニウム建築(a+a )』が休刊し、アルミハウスも忘れ去られてしまいます。
 オイルショック後、73年196万tのアルミ総需要は2年間続けて減少しましたが、76年に203万tに回復し、近年450万t弱まで増大しています。輸入新地金とともに増大する総需要を支えた二次地金の生産量は、74年でこそ18万t(10.5%)に過ぎませんが、06 (平成18)年以降、200万t(50%弱)を超えています。
 90年代になり、アルミ業界は、73年34万t(用途別構成比17.4%)から07年180万t(40.5%)に増加した陸運用途のみに期待するだけでなく、他の部門にて新しい需要を開拓することに注力しました。しかし、土木建築用途は、73年に総需要の33.4%を占めたことを最高として、量的には90年代に90万tを超えましたが、減少傾向にありました。建築用途の拡大を図り、建築基準法の性能規定化、建築廃材とリサイクルなど時代の要請に応え、アルミの建築構造、アルミハウスの開発に取り組むために、94年には、軽金属協会、日本エクステリア工業会の協同にてアルミニウム建築構造推進協議会を組織しました(日本アルミニウム連盟と軽金属協会が統合しアルミニウム協会が発足する99年にアルミニウム建築構造協議会と改称する)。協議会は設立当初から、通商産業省、建設省の指導の下、アルミ建築構造に関する技術開発、市場開発、そしてその普及啓発に努めました。98年に伊東豊雄氏を座長として発足した「住まいとアルミ研究会」が中心となり、アルミニウム協会を総括として新エネルギー・産業技術総合開発機構の99年度提案公募事業「エコ素材住宅の技術開発に関する研究」を受託しました。アルミ業界、アルミ関連団体の協力によって建設された難波和彦氏の通称「アルミエコハウス」です。この開発、実験の段階を踏み、02年5月の「アルミニウム合金造の建築物等の構造方法に関する安全上必要な技術基準」が国土交通省から告示され、アルミ業界の長年の悲願が現実になりました。その後のアルミ建築、アルミハウスの展開は、アルミニウム建築構造協議会の『AL建』、SUSの『ecoms』誌などにある通りです。

 アルミ業界におけるアルミハウスへの挑戦を振返りましたが、そこには挑戦者たちのアルミハウスへの情熱、知恵が蓄積されています。それは、アルミの特性と「工場生産」「量産化」を武器に、アルミの建築構造の認可を目指し、アルミハウスとして高品質な一般住宅とメンテナンスフリーな別荘を実現するための試行錯誤の連続でした。
 新たにアルミハウスプロジェクトに挑戦する者としては、アルミ産業のもつ宿命といえるものを強く感じます。第一に、アルミ産業が平和産業であること、すなわち平和の意味するものは豊かな生活であり、アルミハウスはあくまで豊かな生活を営める居住空間を目指さなければならないことです。次に、アルミ産業は、化石燃料を消費する火力発電に頼る国内製錬からの撤退、さらにリサイクルの同義語といえるアルミ二次地金への移行、すなわちエコロジーの具現化そのものであり、アルミハウスも、省エネはいうまでもなく地球環境問題の解答であり、長寿命、サスティナブルでなければなりません。アルミハウスプロジェクトも、アルミの、日本のアルミ産業の宿命を果たすことに努めたいと思います。

01 拡大

01

02 拡大

02

パネルファブパネルによるプレハブ住宅:日軽アルミグループ
01 スペースカプセル、02 PFハウス

パネルファブパネルは、アメリカのパネルファブプロダクツ社が開発したペーパーハニカムサンドイッチパネルで、昭和40年代初頭に日本パネルファブが技術導入し、カーテンウォール、間仕切り壁などの建材として量産体制に入りました。パネルファブパネルは、アクリル系塗料を焼付塗装したアルミ、鉄板などのコイル材とフェノール樹脂によって難燃化したペーパーハニカムとを、クロロプレン系合成ゴムにて熱処理で貼り合せたものです。71年には、建設省の通達によって「土塗壁と同等以上の延焼防止の効力を有する構造」と評定されました。グループは68年に、パネルファブパネルによる工場生産住宅「スペースカプセル」、現場組立住宅「PFハウス」の開発に着手しました。「スペースカプセル」は、69年にSHILAC計画として白樺湖に4棟が試作され、軽量鉄骨フレームにパネル2.4m×1.2mを貼り、19.60㎡、13.72㎡、10.78㎡の3種類を標準カプセルとして完成されました。レジャーハウスの用途では、キッチンセット、バスルームユニット、折りたたみ式二段ベッドなど最低限度の生活設備類を設置しました。建築基準法第38条の規定に基づく大臣の構造認定も取得し、別荘から店舗用、仮設の建物に用途拡大し、75年までに3,000棟を建設、据付けました。「PFハウス」は、幅・標準900mm(特注300~1,400mm)、長さ・標準10mまで(特注・輸送可能な範囲)、厚さ・標準2.3インチ(特注4インチ)のパネルファブパネルを、アルミ押出形材を主要構造材としてアルミ合金のブラインドリベットで結合して構築するものです。「PFハウス」陸屋根式型式14タイプ、切妻屋根型式19タイプなどに対して大臣の構造認定を受け、工場の事務所棟を始め、従業員宿舎、別荘(以上、単品オーダー)、商品化したパブリックトイレ、プールハウスなどに展開しました。



03 アルミフレーム・システム住宅:古河アルミニウム工業

69年にアメリカ政府が実施した、安価で居住性の高い住宅に関する提案「OPERATION BREAKTHROUGH」においてアルコア社のアルミフレーム・ビルディング・システムが選ばれ、その後、古河アルミニウム工業がアルミフレーム・システムとしてライセンスを取得しました。アルミフレーム・システムはアメリカでは押出形材による枠組壁工法でしたが、日本では、耐震、大きな開口部のために、特殊な断面形状を持った柱梁材による軸組構造(アルミ使用量16kg/㎡)に改良しました。窓枠の土台やブレース、トラスの斜材にもアルミ押出材を用いており、断面形状を自由に設計できるアルミ押出材のメリットを十分に生かしたシステムといえます。なお、延床面積26~116㎡の平屋、2階建の74プランは大臣の構造認定を受け、76年までに数十棟を建築しました。

04 トレルメント工法によるアルミプレハブ:三井金属鉱業、三井アルミニウム工業、三井物産

トレルメント工法は、60年代初頭に西ドイツ・E.G.レンシュの発明したアルミの特許工法であり、ヨーロッパ全土にて約6万㎡の実績であった70年には、3社がライセンスを取得しました。アルミの大型押出材である柱(6辺の羽をもつ)、梁、コネクターと、工場生産の壁、天井、床パネルで構成され、正三角形(1辺2.3m)のグリッドを基本としてプランニングに柔軟性をもたせたシステムです。72年に日東工営などと提携し、2年間で住宅を始め、別荘、事務所、店舗など約50軒を施工し、74年には46種類のプランにて大臣の一般認定も取得しました。工法の特徴は、正六角形(構造体でのアルミ使用量17~25kg/㎡)のプランとともに、従来の50%以下の労務費による全体で8~10%のコストダウンです。

05 サンレポー:昭和電工グループ4社

70年から他のケースとは異なり独自に開発を始め、72年に室内23㎡、30㎡の2種、4タイプの販売を開始しました。サンレポーは、軽量鉄骨の骨組とアルミポリエチレン複合材のパネルで構成される800×2,400のユニット4個と、アルミカラーエンボスシートの屋根(天井)パネル、床パネルとで組み立てる軽量鉄骨造パネル構造です。各ユニットは、キッチン、バス、洗面・トイレ、収納、ツインベッドなどの機能を持ちます。3t程度のクレーン車を用い、ユニット、パネルをボルト締めで組み立て、アルミブチルゴムシート、コーキングで防水した後、カーペット敷などの内装工事と電気の配線、接続などの設備工事にて、施工期間3~5日で完成します。
サンレポーは、73年に大臣認定を受け、74年末まで約900棟の実績となりました。

06 カプセルFM:不二サッシ販売、三井農林

カプセルFMは、シェル石油がR.ローウェイに設計を依頼した住宅をモデルにして、共同開発され、72年に販売を開始しました。4.8m×4.8m、7.2m×4.8mの2種の基本ユニットを組み立てるシステムです。コーナーのRパネルの柱を鉄骨の梁で連結し、柱間に非耐力壁のアルミパネル幅1.2m、アルミの屋根を建て込みます。セカンドハウスを主対象として、現地での建て方は2、3日で可能。その他の工事も含め最低2週間で完成します。

※写真提供:アルミニウム建築構造協議会