アルミ素材学

07「耐食性」の実際を知る

アルミニウムの工業材料としての特性を深く掘り下げる「アルミ素材学」。今回も6回目に続き「耐食性」を取り上げます。前回は、浜離宮恩賜庭園船着場のアルミ構造物を題材に、海水の干満が繰り返される過酷な条件下に置かれたアルミの8年にわたる経年変化をお伝えしました。今回は、今も現役で活躍する歴史的なアルミ建築やアルミ土木構造物を紹介することで、アルミがいかに耐食性に優れ、それによってできたものが長寿命かを考えていきます。

「耐食性」の実際を知る

アルミが初めて発見されたのは1807年のことです。その後、1825年には、デンマークの電気物理学者エルステッドが初めてミョウバン石からアルミを取り出すことに成功します。そして1888年、工業的なレベルでのアルミの生産が始まりました。このようにアルミは大変若い金属であり、それゆえ、すぐに建築や土木の分野にふさわしいアルミ合金や表面処理、鋳造の技術が確立されたわけではありません。ここでは、建築や土木の分野でアルミの特徴を生かすべく試行錯誤を続ける過程で生まれ、現在も残るアルミ建築やアルミ土木構造物を紹介します。

1.アルミ建築

アルミが一般に普及し始めるのは、19世紀末のことです。同時期に建築の世界では、モダニズムという芸術運動が生まれており、その意味でアルミとモダニズム建築は歩みをともにしてきたということができます。しかし、モダニズム建築にとっての主要材料は、鉄、ガラス、コンクリート。アルミは傍流の素材とて輝きを放ってきました。

■竣工から110年、今もアルミの魅力を存分に伝えるウィーン郵便貯金局

アルミを使った有名、かつ歴史ある建築は、オットー・ワグナー(Otto Wagner、1841~1918)が設計したウィーン郵便貯金局(1906年竣工)です。竣工から110年経った今も色あせることなく、現役の建物として機能しています。
この建物においてアルミが使われている個所は以下のとおりです。

外部
①外壁の石を留める
 ボルトのキャップ
②玄関庇とその支柱
③玄関ホールの階段手摺り

内部(中央ホール)
①鉄骨支柱のカバー
②照明器具
③空調吹出塔
④時計
⑤表示板

内部のみならず外部に、しかも相当量使われていることが特徴で、110年後の今日も当時のままの姿を留めています。なぜウィーン郵便貯金局には、これだけのアルミが使われているのでしょうか。その理由は2つあると考えられます。

1つ目の理由は、ウィーン郵便貯金局の建設が、アルミが一般に普及する時期と重なっていたことです。ホール・エルー法が1886年に、バイヤー法が1888年に発明されたことで、アルミの電気精錬法が確立され、アルミの大量生産が可能になりました。これによりアルミが未知の新しい金属から、使うことのできる金属へと変貌を遂げたのです。建築にとっても未知の材料であり、その鉄や銅とは異なる質感が、多くの人を魅了しました。

2つ目の理由は、ワグナーの生きた時代が、モダニズム建築の黎明期であったことです。モダニズムとは、それまでの様式建築を否定し、普遍性、国際性を求めた芸術運動で、モダニズム建築とは無機質な白い箱を指します。しかし、その黎明期においては、どの建築家も完全に様式建築を否定することはできませんでした。このような時代状況において、ワグナーはアルミを用いることで様式建築の延長線上にありつつもモダニズムの理念を取り入れた建築をつくり、来るべき時代への橋渡しをしたのです。
その後は、バックミンスター・フラー(Richard Buckminster Fuller、1895~1983)やジャン・プルーヴェ(JeanProuvé、1901~1984)といったエンジニアリング指向の強い建築家が、積極的にアルミを用いた建築に挑むようになっていきました。

■竣工から52年、アルミの特徴を生かすべく設計された大智寺本堂

アルミが使われている建物として確認できた、日本でもっとも古いものは、坂倉準三(1901~1969)が設計した神奈川県立近代美術館 鎌倉(1951年竣工、2016年1月に一般公開終了)です。建物の外装材であるアスベスト・ボードを取り付けるためのジョイントにアルミが使われています※。
全面的にアルミを使ったもので、今もその姿をとどめている建物としては、國方秀男(1913~1993)と田中正孝が設計した龍護山大智寺本堂を挙げることができます。埼玉県坂戸町に建つ古刹で、1964年に完成しました。

お寺の本堂とはいえ、その外観は頂点が尖ったアーチ型のフォルムで、天井高15m、正面上部にステンドグラスを持つ内部空間は大変独特なものです。この屋根と壁が一体となった外壁、および内部に露出しているシェル構造のパイプ材にアルミが採用されています。リベット、ボルト、溶接といった方法を使わずに、嵌合というアルミ特有の手法を用いたオリジナルの構造です。

建築にアルミを用いる試みは戦前からあったものの、本格的な使用が始まるのは1960年代半ばからのことです。しかし、当時、建築においてアルミといえば外壁やルーバーであり、構造体にまでアルミを用いた例は聞いたことがありません。では、なぜ設計者はアルミに着目したのでしょうか。
その理由は、敷地の当時の状況にあります。電気も通っておらず、工事用仮設電力の引き込みも不可能であったため、溶接が必要な鉄骨を用いることができません。また、作業車が簡単に入っていけるようなところではないため、人力だけで容易に建て方が可能となるような軽量な部材の使用が求められたのです。しかも、落雷のために焼失した旧本堂の建て替えであったために火災に対して安全であることをご住職が望まれ、木造という選択肢もなくなりました。このような経緯から、溶接を使わずに、人力でも組み立てられる軽い金属・アルミに白羽の矢が立ったのです。

当時、アルミは建築の構造材としては認められていませんでしたので、設計者はもとより、北後寿、松下富士雄といった構造設計者、材料を供給した日本軽金属、日軽アルミニウム工業、および県や建設省が、一緒になって実験を重ね、建設大臣認定を取得したものと思われます。
52年を経過した外壁および構造体のアルミですが、目視する限り、きれいな状態を保っています。外壁については、屋根と壁が一体になっていて、雨で汚れが流れ落ちやすく、乾燥もしやすいため、腐食が抑えられているものと思われます。また、腐食に弱いとされる軒天部についても目立った腐食を見つけることはできませんでした。

いわゆる日本の近代建築史であまり語られることのない大智寺本堂ですが、アルミという新しい金属の特徴を生かすべく進められた試みであり、かつ52年が経った今も輝きを放っていることを考えるならば、もっと評価されてよい作品であることに間違いはありません。

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    アルビダ橋(Arvida Bridge)を下から見上げる。 写真提供:大倉一郎

2.アルミ土木構造物

■竣工から66年、今も現役のアルミ橋

北米で最初期にできたアルミ橋として知られるものは、アメリカ・ピッツバーグにあるスミスフィールド・ストリート橋(Smithfield Street Bridge)という道路橋です。この橋は1883年に鋼橋として建設されましたが、建設時の木製床版を1933年に軽量化を目的としてアルミ床版に取り替えています。ただし、この床版はさらなる軽量化のため1967年に別のアルミ床版に取り替えられました。1994年、車線増加を目的として、アルミ床版は撤去され、軽量コンクリート製床版と鋼製床版に取り換えられました。

現存する橋として確認できるのは、1946年に建造されたアメリカ・ニューヨーク州マシーナに流れるグラス川に掛かる鉄道橋や、1950年にできたカナダ・ケベック州にあるアルビダ橋(Arvida Bridge)です。前者は、床版ではなく桁に使われており、支間長は30.5m。後者はサグネ川に掛かる道路橋で、橋長152mのアルミ・アーチ橋です。支間長が20m程度の小規模な橋が多いアルミ橋の中で、比較的長く、竣工時期も古いわけですから、特異な例といえそうです。1925年にアルビダ・アルミ精錬所ができ、翌27年7月に生産を開始していることから、この橋の建設にはカナダの水力発電によるアルミ精錬事業が大きく関連していると考えられます。

一方、欧州では、アルミ板とアスファルトによる床版を用いたヘンデン・ドック・ジャンクション橋(Henden Dock Junction Bridge)という跳ね上げ橋が1948年にできています。当時の印刷物には「The First Aluminium Alloy Bascule Bridge in the World」という記述がありました。

欧州で現存しているアルミの橋としては、スコットランド・ピトロクリー近郊にある歩道橋クルニエ橋(Clunie Bridge、1950年竣工)を挙げることができます。この橋の銘板にも、この国で初めてできたアルミ合金橋といった文言が書かれています。

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    クルニエ橋(Clunie Bridge, 手前)。 撮影:Rileyrob

■竣工から55年。メンテナンスなしで現在も使われている金慶橋

日本で現存するもっとも古いアルミ橋としては、兵庫県芦有ドライブウェイに架かる金慶橋(1961年竣工)を挙げることができます。今日に至るまでメンテナンスなしで使われてきた橋桁4本からなる支間長20mの合成桁橋※です。桁は日本軽金属から供給された地金を神戸製鋼所が圧延加工したもので、設計・製作・架設は播磨造船所が担当しました。アルミ合金の使用量は7.5tです。厚さ170mmの鉄筋コンクリート床版を、アルミ製の桁が支える構成です。主桁材は、現在でいうA5083に相当するアルミ合金です。

橋桁は、常に高い湿度に曝される状況にあり、しかも軒天状態にあるので付着物が降雨によって洗い流されにくく、濡れても乾きにくい状況であるため、金属の腐食という点から考えてると、きわめて厳しい環境にあるといえます。しかし、2012年に調査したところ、外面の腐食は軽微で、黒斑状の微少点食が散在する程度、内面は軒天状態になるので外面よりは進行していますが、それも軽微なものです。それゆえ今後もさらに長い年月使用することが可能であると期待できます。

※合成桁:鉄筋コンクリート床版と金属の桁を一体の構造として設計したもの

■設置後127年、旧二重橋飾電塔のアルミ鋳物は世界一古い?

1889(明治22)年、皇居に二重橋とその橋元に設置する飾電塔がドイツから輸入、設置されました。橋はもとより塔自体も鉄製ですが、飾電塔の一部にアルミの鋳物が使われています。

この飾電塔は、二重橋同様、ドイツのデュッセルドルフ市にあったJohann Casper Harkort社(現存せず)で設計、製作されたものですが、同社に鋳物工場はありませんので、アルミ鋳物部分については鋳物会社に外注してつくらせたのだと考えられます。

アルミ鋳物は、全部で5個あるランプのうち最上部のランプの頂部のキャップと、すべてのガラスグローブを支える底部のグローブ受けと、グローブ止めに使われています。この合金の主な添加物は銅3.07%、ケイ素1.22%、鉄1.10%。銅が多く添加されているのは、強度や機械加工性の向上に有効なことが当時、すでに知られていたためであると考えられます。

グローブ受けについては、表面に腐食跡が見られ、さらにドリル加工穴の底部には引け巣(鋳造金属内部に残る気泡)が認められますが、キャップについては表面も滑らかで、エッジもシャープであり、120年以上の長きにわたり、まったく腐食していないことを示しています。なお、現在二重橋にある飾電塔は1964年に取り替えられた青銅製のものです。明治期に設置されたものは、現在、東京藝術大学の陳列館入口、愛知県にある明治村、立川にある昭和記念公園に移築、設置されています。

【参考文献】
・「アルミニウム建築の可能性」難波和彦 著 『アルミニウムの空間』
 (石田保夫・飯嶋俊比古・畔柳昭雄著)新建築社
・『アルミニウム構造学入門』大倉一郎・萩澤亘保・花崎昌幸 著 東洋書店
・『アルミニウム陽極酸化50年』『軽金属製品協会五十年の歩み』軽金属製品協会
・『戦後モダニズム建築の極北―池辺陽試論―』難波和彦 著 彰国社
・「日本で最も古いアルミニウム合金鋳物」中野俊雄 著 『鋳造工学』
 (第87巻 第7号 2015年)
・「溶接構造アルミニウム合金橋『金慶橋』51年間経過後の状況」
 一般社団法人 アルミニウム協会 土木製品開発委員会 耐久性WG『アルミニウム』
 (第20巻 第86号 2013年)
・『AL建』40号 アルミニウム建築構造協議会 2012年 VOL.17
・The Society for All British and Irish Road EnthusiastsのWEBサイト
・BRIDGEHUNTER.COMのWEBサイト