建築家インタビュー アルミ・素材・建築

安田 幸一

聞き手 畔柳 昭雄

今年のSUSアルミ共生建築コンペティションで審査委員長を務められた東京工業大学大学院教授の安田幸一氏に、設計手法を語っていただきました。

埋没しないが自己主張もしない建築の表現

― 景観に対して意識的であるように感じますが、景観を意識するようになったきっかけは何だったのでしょうか。

 景観を考え始めたきっかけは、大学の卒業研究です。
私は東京工業大学の篠原一男研究室に在籍していましたが、卒業研究のテーマが「渋谷の街並み」だったのです。篠原研では1960年代後半から民家研究に取り組み、宿場町などの街並みのデザインサーベイを行ってきました。しかし、私が研究室に入った1981年からは、歴史的な街並みだけではなく現代都市を扱うようになりました。古い街並みを見てきたのと同じ視点で現代の街並みも見る研究で、その最初の取り組みと卒業研究とが重なったのです。今から考えると篠原先生自身の作風が変わっていく時期でもありました。
 当時は毎日のように渋谷に行って街を見ていました。公園通りや道玄坂の街並みを実測し描き起こした末の論文の結論は、日本の都市は突出した建築のないモノトーンのモダニズムであり、それは日本独自の文化の上に成立しているという篠原先生の影響を大きく受けた内容ですが、この研究により都市に対する強い関心が植え付けられました。

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    東京工業大学緑が丘1 号館レトロフィット(2006 年竣工)。耐震のためのアンボンドブレースと室内の温熱+光環境を調節するアルミルーバーが既存建物を覆う。

― 「ポーラ銀座ビル」ではどのようなことを心掛けましたか。

 長い時間をかけて育まれてきた銀座の品格が失われないよう心掛けました。そのため限られた時間の中でしか商業的に主張しないファサードとしたのです。1時間に1回、時報のようにキネティックパネルが動き、光が出る。それだけです。それ以外はずっと静かで動きません。目立たないというより静かにしているのです。
このように、キネティックパネルがガラス1枚を介して一定時間だけささやかに主張するのがよいと思っています。地中に埋まった「ポーラ美術館」も、黒のガルバリウム鋼板で覆った「東京造形大学CS PLAZA」も、同様な考え方に基づいています。とりわけ没個性を目指すわけではありませんが、突出しないほうが都市にとってふさわしいと思うのです。頃合いが難しいのですが、極端には前に出ない、かといって後ろに引っ込みすぎもしない微妙なスタンスが理想だと思っています。

少しだけテクノロジカルなアプローチを試みる

― ささやかな主張の中に、テクノロジーを垣間見ることができるように思います。

 たとえばこのアトリエ(安田アトリエ)の外壁のガラスブロックの目地は透明なガスケットです。かつブロックの小口も塗装していませんので、一般のガラスブロックを比べ透過性がとても高くなっています。このようにテクノロジカルに少しだけ前に進みたい気持ちが常にあります。

― 少しだけですか。

 少しだけでよいと思っています。突出させるべきではありません。プロは別として、普通の人にとっては「あれ!何だろう」「ちょっと違うかな」程度で構わないと思うのです。ガスケットを使ったのは、モルタルを使うとガラスよりも目地の方が目立ってしまうからです。氷の塊みたいなものがつくりたかったのです。その方がガラスブロックの特性に合うと思いました。少しだけとはいいながら、耐火認定試験を行うなど、開発に2年程度かかってしまいました。

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東京造形大学CS PLAZA(2010 年竣工)。吹き抜けのプラザに三角柱状のトップライトより光が差す。
トップライト内部はアルミスパンドレル(厚さ0.5mm)鏡面仕上げ。

― テクノロジーとともに光にも興味を持たれているように感じますが、いかがですか。

「東京造形大学」のトップライトは長さが6mあります。この内壁をメラメラとした光で満ちた感じにしたかったのでアルミスパンドレルの鏡面仕上げとしました。ステンレスでは光が重く硬質になってしまいますが、アルミだとフワッとした柔らかい感じになります。目地は縦方向にこだわりました。横は光が降ってくる感じになりませんし、パネルにするとグリッドが見えて抽象性を阻害してしまいます。

使う素材の本質を1から考える

― その意味では素材へのこだわりでもありますね。

 意識的に素材に対するこだわりを感じさせないことがモダンデザインとされてきたと思います。ボードとペンキなど限られた素材で抽象性を重要視して空間をつくってきたといえるでしょう。そのことに多少反発があるのかもしれません。素材の特性を何らかのかたちで引き出したい思いがあり、プロジェクトのたびに新しい素材を探しているような気がしています。
鉄や木、アルミなど、1つの素材にこだわりがあるわけではありませんが、使おうとする素材にはこだわります。「東京工業大学附属図書館」で使おうとしているのは白のレンガですが、レンガを使うとなれば、レンガとは何かを1から考えます。そのせいで時間がかかってしまうのでしょうね。ガラスブロックをどうやって組み上げるか、アルミをどう使うか、1つ1つ素材のあるべき姿を考えることが好きなのだと思います。

― 素材の検討には模型なども使うのですか?

 建築を設計する際は自分でルールをつくり、そのルールから自然に出てくる解をベースに設計を進めます。しかし、そうは言っても模型をつくっての検証は欠かせません。「ポーラ銀座ビル」のポリカのパネルにしても、何通りものパターンを製作しました。建設現場の仮囲いにプリントを貼って並べて、それを道路越しに確認するなどさまざまな検討をしています。

― 採用になったあのパターンは何をもとにしているのですか。

 皮膚を細胞レベルまで拡大していったときに見える画像を抽象化しています。ポーラは化粧品会社ですので、星が降ってくるような皮膚の表現が、遮熱、遮光効果をもたらすことは面白いのではないかと思い提案しました。

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    ポーラ銀座ビル。可動するキネティックパネル(ポリカーボネート製)とLED 照明の組み合わせでファサードの表情が変化する。

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    ポーラ銀座ビル(設計:日建設計+安田アトリエ、2009年竣工)。
    昼間のファサード。ガラス押縁はアルミ押出材(幅300mm)。

テクノロジーに対する豊かな感性と知識が建築を動かす

― パネルを開閉させるアイデアは最初からあったのですか。

 最初はありませんでした。この仕組みを一緒に考えたのは、チャック・ホバーマンというニューヨークのアーチストです。アーチストとはいっても単に仕掛けを考えるのではなく、彼の背景にはテクノロジーに対する確かな感性と豊富な知識があります。たまたま研究室で話を聞く機会があったのですが、彼の考え方に共感した私はその日のうちにアトリエに招き、プロジェクトへの参画を依頼しました。翌日には帰国する予定でしたので、その日のうちにスケッチを描きながら打ち合わせを行い、あとは帰国してからメールのやりとりで進めました。

― 建築において「動く」という概念は今後一般的になっていくのでしょうか。

 建築はスタティックなものとして表現されますが、世の中は逆に動くものであふれています。ホバーマンは「動かない方が不思議でしょう」とはっきり言います。確かにそうだとは思うのですが、建築の場合、動かすのは大変です。ブラインドを動かすくらいなら何ら問題はありませんが、もう少し大きくなると、誰が動かすのか、誰がメンテナンスをするのか、故障したらどうするのか、といった問題が必ずつきまといます。そのため私は、コスト的にも動かない方がよいと考えていました。以前、「西麻布の住宅」でトップライトをつくったときにも、夏季は光が室内に落ちてこないようにするために、特殊な固定のルーバーをトップライトの下に設置しました。決して太陽の動きに追従する装置は使わなかったのです。しかし、「ポーラ銀座ビル」を設計してからは、動くことも魅力的だと思うようになってきました。動くことで建築が生き生きとするのです。ただ、どのような場面で動くかを考えなくてはいけません。何でも動けばよいというわけではないと思います。

建築家の役割は複数の線を1本に引き直すこと

― アーチストやエンジニアとの協働は刺激的だったのではないですか。

 バーナード・チュミのオフィスで働いていたときに、ピーター・ライスなどと直接お付き合いさせていただいた影響でしょうか、建築は1人でつくるものではないという考えが染みついています。優秀な建築家であっても自分の能力だけでは足りない部分が必ずあります。頼れるスペシャリストがまわりにいるかいないかで作品のクオリティは確実に変わってくるといえるでしょう。ピーター・ライスは素材に関係なく常に挑戦するエンジニアでした。ガラス、鉄、コンクリートだけではなく、ある教会の再生には石のアーチを用いるなど、彼の柔軟な素材の扱い方にはとても感心しました。

― 複数のエンジニアとの協働だとその調整が大変なのではないですか。

 多くの人がかかわればそのぶん線が増えていきます。それぞれのエンジニアにとってはすべて必要な線であっても、それをすべて実現しようとすると大変なことになってしまいますから、それらを整理して、1本の線に引き直さなくてはいけません。その作業をするのが建築家です。たぶん、私の場合はそぎ落とす線の数が多いのだと思います。つまり最後の残る線の数が極端に少ない。あるいはそうしようと意識的に考えています。それが「埋没しないが自己主張しない」表現にもつながるのだと思います。線が少ないのが理想だと思います。「ものを表現するのにたくさんしゃべるな」が篠原先生の教育でした。

(安田アトリエにて)

撮影:石黒守
東京工業大学緑が丘1号館レトロフィット
東京造形大学CS PLAZA
ポーラ銀座ビル
撮影:西川公朗
安田幸一氏・畔柳昭雄氏ポートレート

安田 幸一

安田 幸一(やすだ こういち)

1958年 神奈川県生まれ
1981年 東京工業大学工学部建築学科卒業
1983年 東京工業大学大学院理工学研究科建築学専攻修了
1983年 日建設計(~2002年)
1988年 バーナード・チュミ・アーキテクツ・ニューヨーク事務所(~1991年)
1989年 イェール大学大学院建築学修士課程修了
2002年 東京工業大学大学院准教授、安田アトリエ設立
2003年 同済大学顧問教授(~2008年)
2007年 東京工業大学大学院教授
畔柳 昭雄

畔柳 昭雄(くろやなぎ あきお)

1952年 三重県生まれ
1976年 日本大学理工学部 建築学科卒業
1981年 日本大学大学院博士課程修了
2001年~日本大学理工学部 海洋建築工学科教授