アルミハウスプロジェクト

「戦後の住宅政策」に学ぶ

シリーズ2回目は、戦後の住宅不足420万戸の解消から始まった日本の住宅政策より、アルミハウス・プロジェクトの方向性を模索します。

3つの住宅政策の確立

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■ 闇市・バラック(昭和20年)
■ 三種の神器=白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫(昭和30年)
■ 団地族(昭和33年)
■ 団地サイズ(昭和40年)


 戦後の住宅政策(表1参照)は、終戦直後の9月に罹災都市応急簡易住宅建設要綱にて越冬住宅30万戸の建設を推進したことに始まります。その後4年間では200万戸の住宅が建設されましたが、あくまでも民間が中心で、公共・国庫補助庶民住宅は20%に過ぎませんでした。しかし、当時はインフレで、銀行などの金融機関が住宅建設に長期、低利の資金を供給することは難しく、昭和23年には民間の建設も大きく減少することになります。
 この状況下、25年6月、連合軍総司令部(GHQ)による金融制度の全面的改正の一環として「住宅金融公庫」が発足します。また翌年には、低額所得者に低家賃の住宅を供給するため、国庫補助住宅建設を恒久、計画的にすべく「公営住宅法」が策定されました。さらに、25年に勃発した朝鮮戦争による特需景気で、大都市は人口集中による住宅不足に陥ったことから、行政区域を超えた広域的な住宅供給の必要性が高まり、30年、集合住宅を主に建設する「日本住宅公団」が設立されるのです。
 ここで挙げた「住宅金融公庫」、「公営住宅法」、「日本住宅公団」の3つの制度が、いわゆる戦後の住宅政策の三本柱です。この制度を基に策定された「住宅建設十箇年計画」では、不足する272万戸を解消し、一世帯一住宅を実現することが謳われています。31年には「もはや戦後は終わった」で知られる経済白書が発表され、その目標も実現する見通しでありました。

住宅建設計画法

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■ 核家族(昭和42年)
■ 3C=カラーテレビ、クーラー、自家用車(昭和43年)
■ うさぎ小屋(昭和44年)
■ 億ション(昭和62年)
■ 構造計算書偽装(平成17年)


 神武景気、岩戸景気と続く昭和30年代は、映画「ALWAYS三丁目の夕日」に描かれた如く、地方からの出稼ぎ、すなわち都市への人口集中が急激に進んだ時期です。30年代後半には、世帯の細分化も進み、大都市での世帯数は約27%も増加しました。大都市では住宅の新規需要増大によって、宅地価格が異常に高騰します。40年には地方住宅供給公社法も制定されましたが、1世帯1住宅を実現することは、とうてい達成困難となっていくのです。 
 住宅対策への強まる要望に応えて、41年に「住宅建設計画法(図1参照)」が制定され、平成17年までの8期40年間にわたる住宅建設5箇年計画が始まりました。その目標によって分けられる3つのステージをそれぞれみてみましょう。

第1ステージ 第1〜2期
住宅難の解消

 第1期では「一世帯一住宅の実現」を、第2期では「一人一室の規模を有する住宅の建設」を目標に計画が進められました。目標住宅建設戸数で見ると、第1期は目標6700千戸に対し、実績6739千戸と上回ったのに対し、第2期は48年のオイルショックのため、目標9576千戸に対し、実績8280千戸と下回ってしまいます。
 しかしながら、いざなぎ景気からオイルショックまでのこの時期において、43年の住宅・土地統計調査では全国ベースで住宅戸数が世帯数を、48年には全都道府県ベースでも住宅戸数が世帯数を上回り、終戦直後からの住宅難は数字的には解消されたということができます。

第2ステージ 第3〜5期
量の確保から質の向上へ

 これを受け、昭和51年の第3期5箇年計画は「昭和60年を目途にすべての国民がその家族構成、居住地域等に応じて良好な水準の住宅を確保できるようにする」、つまり「質の向上」を長期目標とし策定されました。また、それとは別に第3期では「最低、平均居住水準」、第4期では「住環境水準、誘導水準」、第5期では「誘導居住水準」が設定されました。
 この間、48年には全国でほぼ半数の世帯が平均居住水準(4人世帯で86㎡)を確保し、53年には最低居住水準(4人世帯で50㎡)未満の世帯が全国で10%を切り、質の向上が実現したといえます。さらに、オイルショック後暫減していた住宅着工戸数は、62年に始まるバブル景気のもと、再び150万戸を超え(平成元年の消費税導入の煽りにもよる)、63年には全国ベースで非居住住宅を除く住宅戸数が世帯数を上回り、住宅の量的充足も実現したのです。

第3ステージ 第6〜8期
良質な住宅ストックの形成

 第5期計画で「住宅ストック」という言葉が用いられましたが、平成3年の第6期5箇年計画は改めて「良質な住宅ストック及び良好な住環境の形成」が目標となり、加えて「高齢化社会への対応」も盛り込まれました。阪神・淡路大震災の影響から「安全で快適な都市居住」を目標に挙げた第7期を経て、最後となる第8期では建設戸数に増改築件数も含むこととなります。さらにここでは「少子・高齢化社会を支える居住環境の整備」にてバリアフリー化の住宅性能基準も設定されました。

 40年におよぶ住宅建設5箇年計画が終了した原因としては、所得階層別(公営↓公社、公団↓公庫)に展開してきた住宅政策の役割が終わったことが挙げられます。また、住宅政策立案に対し、旧建設省の管轄ではないのではないかといった見方が浮上してきたことも一因として挙げることができそうです。

住生活基本法

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■ 200年住宅(平成19年)


 住宅着工戸数が平成2年の170万戸超をピークに減少し100万戸割れも予測される中、「住宅建設」計画から決別し、国民のニーズと住宅ストックとのミスマッチなどの課題に対応する新たな制度の枠組みが検討され始めました。
 「現在の住宅ストックを長期耐用性、環境との共生、長寿社会への対応等を配慮したもの―良好な環境を備えた良質な住宅―として再生する」
 「住宅ストックを活用しつつ、自立した個人がその自己実現するニーズに最も相応しい居住を選択できるようにする」
 といった答申がさまざまな審議会で浮上するのもこの時期です。さらに、「住宅」を「人生の大半を過ごす欠くことのできない生活基盤」「都市や街並の重要な要素」「安全、環境、福祉、文化といった地域の生活環境に大きな影響を及ぼすという意味で社会的性格を有するもの」と記されるようになりました。これらを基に、「住生活基法」と「住生活十箇年基本計画」が平成18年に制定され(図2参照)、日本の住宅建設は、「住宅難の解消」「量の確保から質の向上へ」時代から「よいもの(住宅)をつくってきちんと手入れをして大切に長く使う」時代へ大きく変革しています。

 アルミハウスプロジェクトにおいて、戦後60年余の住宅政策から多くの見識を得ましたが、これからのキーワード「住宅のフローからストックへ」より2つの方向性を見出しました。
 第1に、プロジェクトでは、アルミのもつ特性、軽量、強度、均質、精密、耐食性などを生かし切り「よいもの(住宅)」を実現したいと考えます。第2に、その構法ほかに、可能な限りフレキシビリティ、かつサスティナブル・ディベロップメントといった概念を内包させ、計画します。また、アルミの持つリユース、リサイクルの容易さも、「長く使う」という要請に応える大きな力となるでしょう。