アルミハウスプロジェクト

「アルミハウスにとってふさわしい住宅設備に関する考察」

「アルミハウスにとってふさわしい住宅設備に関する考察」

戦後の住宅は、生活インフラに支えられ、住宅設備、多種多様な機器、器具の固まりになりました。

ライフライン、生活インフラとは

 2011年3月11日に発生した東日本大震災は、マグニチュード9.0という未曾有の巨大地震でした。最大震度7の地震、それによる遡上最高38.9mの津波による被災者は7県2600カ所約53万人に、建物被害は6万戸強に上っています。 2万3千人強に達する死者・行方不明者、そして発生から2カ月も経ち未だに避難所で暮らす13万人強の人々に対して、日本各地、世界中からお悔やみ、お見舞いの声が寄せられています。
 報道では、津波により大きな被害があったことから、避難場所、避難所(建築物)の位置、海抜などが論議され、都市計画、そして堤防の高さなどの土木計画的な問題が多く指摘されています。阪神・淡路大震災のときに発生した「中層階のパンケーキクラッシュなどによる中高層ビルの崩壊」「屋根瓦などの重みによる2階建て木造住宅の倒壊」など建築計画的な問題は報道されず、天井の崩落や、震源地より離れた東京、横浜でも起こった地盤の液状化現象による家屋の浮上、沈下が多く扱われています。 地震による建築物の被害詳細は、これからの調査、分析を待たなければなりませんが、現時点では阪神・淡路大震災のときと様相は異なるようです。
 それに反して、東日本大震災でも阪神・淡路大震災でも日本的な定義のライフライン(エネルギー、水供給、交通、情報など)※1の寸断、復旧が報じられました。 さらに東日本大震災では、福島第1原子力発電所の事故によって、首都圏にまで計画停電が広がるに及び、被災地だけでなく広範囲での生活に大きな影響が出ています。 省エネ、CO2削減への高い関心も加わり、電力だけでなく、生活インフラ(電気、ガス、水道、通信)についての論議も盛んになっています。 大震災前の日本で電気は、空気、水のように誰でもどこでも手に入るものでありました。

※1 ライフラインとはライフラインとは、本来英語では「rope usedfor saving 〜」の意である。明治時代から用いられていた「生命線」という言葉が阪神淡路大震災から置き換えられ、日本では、エネルギー、上下水道、交通、情報などを示すようになった。

住宅設備とは

 ライフライン、もしくは生活インフラの普及率は表1となります。 水道、そして、国策として推進されてきた電力の普及率は限りなく100%です。下水道の2007(平成19)年71.7%も戸別処理、すなわち家庭用浄化槽処理を、都市ガスの00年54.9%もLPガス小売を加えるならば、100%と言えます。また、通信に関しても、テレビの普及に併せ、プッシュホンの04年95.3%と携帯電話の普及から、100%となります。
 このような生活インフラが住宅設備を支えます。設備機器では家庭用、業務用の区別がありますが、住宅設備の定義はありません。建築設備は建築基準法第二条三で「建築物に設ける電気、ガス、給水、排水、換気、暖房、冷房、消火、排煙若しくは汚物処理の設備又は煙突、昇降機若しくは避雷針をいう」と定義されています。 また、『建築家のための住宅設備設計ノート』(知久昭夫著、鹿島出版会2007)は、住宅設備を給排水衛生、換気、冷暖房、電気に分けるとともに、給排水衛生設備に給水・衛生器具、給湯、排水、ガスを含めています。 住宅設備設計は建築設計に従い行われ、さらに設備工事は建設工事の一環とされるために、住宅設備は、建築物の一部、あるいは建築物に固定されるものであるようです。 従って給排水では浴槽、洗面台、便器までを、電気ではスイッチ、コンセントまでを含みますが、厨房機器、あるいは照明器具はその境界にあります。

現在の住宅に持ち込まれた広義な住宅設備

 人間にとって生命維持に必要不可欠な水は、上水道(生活インフラ)の先端にある水栓(住宅設備)を開くことで利用できます。 また、家庭の灯りは、現在の電力会社が電灯会社と言われていたことでも分かるように、ろうそく、石油ランプから電灯へ変わり、全国の電灯普及率は1927(昭和2)年に87%となりました。
 ここでは、住宅設備を広義にとらえたいと思います。 家庭内において住宅設備としての機器、器具がもっとも多く集積しているところは台所です。 現在の台所(表2)には、生活インフラ5種すべてが供給され、電気製品を主とした住宅設備機器、器具が反乱しています。それゆえ、震災での全面停電、計画停電では、ご飯を炊くことができず、冷蔵庫にある食品は腐り、ガスの供給を受けていなければお湯さえ沸かせず料理もできないことになりました。
 台所の機器、器具は表1にあるように、戦後から台所内に持込まれ(購入、設置)、流し台からセクショナルキッチンへ、そしてシステムキッチンへと変化していきます。 さらに、独立型に限られていた台所が、オープン型、セミオープン型も可能になり、I型、L型、U型に加えアイランド型、ペニンシュラ型とレイアウトも自由になり、面積も拡大しました。 よって、主婦の炊事・家事労働が著しく軽減され、「男の料理」が流行語となるほどに「家族の参加」も進み、ライフスタイルが大きく変化しました。
 台所と同様に、トイレでは洋式便器の採用、80年のウォシュレット※2の国産化、浴室ではバスタブ素材の変化、つまり木製、タイル貼、ステンレス製、FRP(62年)、ホーロー、そして人造大理石(80年)と高級化が図られました。このほか64年にはユニットバス(ホテルニューオータニで実用化)が出現し、機能向上、施工効率化が成されました。 また、3種の神器、新3種の神器である洗濯機、テレビ、クーラー(冷暖房機器)、乗用車の普及率も80%を超えています。洗濯機は73年に防水パンを、乗用車は駐車場を住宅に持ち込みました。 またテレビは白黒、カラーを経て、現在は液晶などによる薄型化が進み、クーラーは給湯機能を含む冷暖房システムに進化しています。
 近年では、通信とエコロジーに関する2つの住宅設備が注目されています。通信においては、携帯電話の普及、パソコン、インターネットの設置が90年代10年間で成されました。エコロジー、CO2削減に関しては、1つに太陽熱温水器があります。55年の膜型温水器に始まり、72年にはヒートポンプを組み込んだタイプの登場で一般化しました。 また太陽光発電は92年に実用され、省エネ(創エネ)の話題性の高まりとともに、国からの設置助成によって急速に普及しています。

※2 ウォシュレットの国産化ウォシュレットは通説では日本の発明となっているが、発明者とされるTOTOの社史にも、その始まりは64年に米国のベンチャー企業であるアメリカン・ビデ社が開発、商品化した「ウォッシュ・エア・シート」であると記述されている。TOTOは同年、その輸入販売を開始し、67年にはアメリカン・ビデ社から特許を取得し国産化する。一方、伊奈製陶も同年、国産初の温水洗浄便座付洋風便器を販売。TOTOも80年に「ウォシュレット(登録商標)」として暖房便座機能を追加し発売した。

戦後の住宅設備の変遷

 まず生活インフラから見るならば、下水道の普及に注力する昭和50年代前後に、「住宅難の解消」から「量の確保から質の向上へ」というパラダイムシフトがありました(本誌26号『「戦後の住宅政策」に学ぶ』参照)。これ以降、水道普及率は90%を超え、日本において「空気と水、そして電気」は誰でもどこでも手に入る時代となり、生活インフラは普及から安定、安心な供給へと変わりました。
 住宅設備において昭和50年代までは、いわゆる3種の神器、新3種の神器と称される、機器の所有が、豊かさの象徴であったと言えます。その後は、セクショナルキッチン、システムキッチンや冷暖房システムが登場し、優れた機能、デザインによって快適性を求める時代へ移り変わりました。ただし、それでも「ものの飽和」に変わりありません。
 そして、21世紀に入り10年を過ぎた今日、双方向通信が普及し、スティーブ・ジョブスが引用したように、個人住宅であってもWhole Earthに存在するという認識が一般化しました。これにより少なくとも2つのライフスタイルの変化が考えられます。 第1は、Webというネットワークを用いて地球上のいずれの地でも生活が可能になることです。MITメディアラボの創設者であるニコラス・ネグロポンテが唱えた「パジャマでいられる権利」、すなわち在宅勤務がさらに進むことに間違いはありません。そして第2は、エコロジー、CO2削減の観点から地球的な省エネ、はたまた創エネが求められるということです。
 加えて、3.11の東日本大震災によって、20世紀的なものは真に終焉し、住宅においては、生活インフラに支えられ享受する居住形態が変革すると思われます。これからの住宅は、 Whole Earth の上に建設され、できるだけ自立(自己完結、スフィア化※3)し、省エネはもとより貯水、蓄熱、蓄電などという機能を備えます。それがゆえに、アルミハウスは、最低、流行言葉であるスマート・ハウスでなければならないと考えます。

※3 スフィア化とは
スフィアが意味する球体の形態から、スフィア化とは完結性を表す。