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「これまで」と「これから」を検証する『海の家』

「これまで」と「これから」を検証する『海の家』

~ecoms DIY systemの開発~

親水工学の流れで1980年代後半から『海の家』の研究に入った日本大学理工学部海洋建築工学科の畔柳教授に、「これまでの海の家」と「これからの海の家」を比較しながら、アルミを使った新システム考案について語っていただいた。

海の家

 毎年、全国の海浜に開設される海水浴場は1380箇所程あり、そのうち約680箇所の海浜で海の家が営業されている。この海の家のはじまりについては諸説あり、愛知県大野千鳥浜海岸に開設された海水浴場に小屋掛けされたものや、大磯照ヶ崎海岸に開設された「潮涛館」に併設されたものがそのはじまりとされている。いずれも簡易な小屋掛けによるもので、浜茶屋とも呼ばれていたようだ。
 以後、夏季の海水浴場を彩る風物詩として親しまれてきている。最近ではその趣も一風変わった趣向を凝らしたものが増えはじめ、海水浴場の様相も一昔前の海水浴場を楽しむ場から、波音に耳を傾けたり、浜風を楽しむなど海浜の自然環境や雰囲気を楽しむ場へと様変わりしてきている。

新しい海岸制度

 海の家が建つ海岸は、海岸法によって管理されてきているが、平成11年の法改正によって都道府県知事等が行うとされていた海岸管理の占有許可等については、地域づくりの観点から市町村長が参画し、管理できるようになった。その結果、海の家の占用の許可申請は簡素化されることになったが、海浜には基本的に国土保全や防災面から恒久的な建物は建設することはできない。そのため、海の家は夏場の一定期間に限り、設置が許可される仮設建築物となっている。
 また、各自治体では、独自に海岸管理条例を制定しているところが多く、それらに基づいて海の家の設置が許可される。たとえば、神奈川県の主な海水浴場の場合、まず県の水浴場条例、海岸法、漁港法、港湾法、食品衛生法、建築基準法、県屋外広告条例などに照らして審査が実施されるが、申請は各海水浴場協同組合が一括して行うため、個人では申請できない。さらに、海の家を建てるための海浜については、地域の慣習や旧来からの漁業権、入浜権などとの絡みにより目に見えない区割りや線引きが存在するため、実際には新規参入は難しいと聞く。

海の家の変化

 海の家が夏場の海浜を著しく品疎な風景にしていると批判した文化人がいた。確かに海の家の多くは安普請で、丸太を釘や針金で縛ったり、足場用の鋼管パイプをクランプで締結した骨組みの上にヨシズや簡易な屋根を乗せた程度のものであり、材料は長年の使いまわしで錆や劣化、傷みや塗装の落ちが見られてもそのまま使うなど、客サービスに配慮して建てられたとは到底思えないシロモノが多い。また、屋号もマイアミやハワイ、ロングビーチなど、いかにも短絡的で安直なものが多かった。そのため、こうした海の家が建ち並ぶ風景は屋号から想起される美しい海浜景観とはほど遠いものであった。
 しかし、80年代後半になると、一部の海水浴場では、化粧品会社、電話会社、たばこ会社、ビール会社など企業のアンテナショップや広告宣伝パビリオンとしての海の家が建ち並ぶようになり、海浜の風景に変化が現れはじめた。旧態依然のものやコンテナハウスを運び込んだだけの既製品的な海の家も見られる中で、DIYを楽しむ若者たちによるセルフビルド系やニュービジネスのための実験ショップ系の海の家が登場してきたのだ。これらは、百花繚乱の体をなし、プールバー・DJブースを持つもの、納涼風のもの、アジアンリゾート風のものから、一風変わったところではカラオケ店舗・うなぎ屋・ラーメン屋を併設した、まるで映画の街並みセットを思わせる風のもの、冷気シャワーを体感できるもの、エステを堪能できるものなど、枚挙に暇がないほど新奇のアイデアを盛込んだ海の家が姿を見せた。こうした海の家では、飲食の提供ばかりではなく、パーティーやコンサート、はたまた結婚式まで執り行われていると聞く。こうした海の家も、当然直ぐに撤去できる堀建て形式や運び込んで置くだけの簡易な形式の仮設建築物である。

アルミ海の家 ecoms DIY system

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2Fテラス

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グリッドシェルフを活用したバーカウンター。夕日を背に海辺で飲むビールの味は格別だ。

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浜辺から素足でも入れるように、床には肌ざわりのよい木材をすのこ状に使用。

 今回建築した「海小屋SUS」は、われわれの研究室とSUSの共同開発による「ecoms DIY system」の汎用システムモデルである。建築全体は、アルミの押出し材としての線形を生かすデザインとした。
 開発テーマは、従来までの海の家に付きまとっていた「安普請」「野暮ったい」「暗い」「不潔」「怖そう」「ボッタクリ」「高い」などのマイナスイメージを払拭することである。現在の海の家の一部ではオーナー自身が楽しみながらセルフビルドしているものも見られるが、まだまだ多くは旧い資材の使いまわしで取繕っているものがほとんどである為、先に述べたようなイメージで海の家は捉えられてきている。
 また、海水浴場は、概ね幹線道路から細路地で結ばれていたり、砂浜との間に大きな段差がある場合が多く、資材運搬の車両の進入には困難を伴い、砂浜では車輪が沈む。こうした課題を克服できる建築システムを構築し、さらに、これまでの海の家のイメージを払拭するものを作り上げることを計画目標とした。そこで、誰もが簡単に運べ、さらに組み立てることができる、を目指した。各部材は、これまでSUSが開発してきた柱、梁、ラチスパネルを主要構造材として使用し、新たにルーバーパネルとユニット型のルーバー庇を開発し、外壁材とした。特にラチスパネルは軽量化を図るため、これまで100mm幅であったものを70mmまで幅を落とすことで約14kg軽量化し重量を36kgにすることができた。建方は、砂面にベースプレートを敷き地中梁を回した上で柱、梁、パネルを組みつけて行く方法で行われた。各部材寸法は公差2mmの精度(超高層建築で求められる精度と同じ)で作られているため、足場が比較的安定しない砂場では組み立てに若干苦労を要したが、部材が軽量なため、重機を使わずとも人力で調整できた。組み付けは全てボルト締めのため、素人(学生)でも容易に施工組み立てができた。施工はあいにく台風と出会ってしまったが約5日間で完了することができた。
 2004年7月1日の海開きから多くの利用者を迎えられた。当初心配された炎天下での表面温度の上昇もなく、焼けた砂浜を素足で歩いた後のアルミの階段は足裏にやさしい感じらしい。また、オールアルミの海の家は、一見その色合いからクールに見えるが、時間が経つとパビリオン・フォーリーっぽい感じがしていい。さらにラチスパネルがきれいで、ほとんどの壁面がルーバー状になっているのも気持ちよい。というさまざまな感想が聞こえてきた。2004年8月12日相模湾のサンセットの中で“歌凛”によるコンサートが開かれた。

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    すべてボルト締めで組み立てられるセルフビルド方式のアルミ海の家。畔柳研究室の学生数名によって施工が行われた。

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所在地  神奈川県三浦郡葉山町一色海水浴場
設計   建築 畔柳昭雄+日本大学CST畔柳研究室
     構造 飯島建築事務所
施工   鈴木建材店+日本大学CST 畔柳研究室
建築面積 59.32㎡
延床面積 92.45㎡
階数   地上2階
構造   アルミニウム造
工期   2004年6月21日~6月25日

畔柳 昭雄

畔柳 昭雄(くろやなぎ あきお)

1952年三重県生まれ。
1981年日本大学大学院博士課程修了。
2004年日本大学理工学部海洋建築工学学科教授。
2004年度日本沿岸域学会論文賞受賞。
著者:アジアの水辺空間(鹿島出版会)東京ベイサイドアーキテクチュアガイドブック(共立出版)など