建築家インタビュー アルミ・素材・建築

内藤 廣

聞き手 畔柳 昭雄

内藤廣氏は、この3月に10年間教鞭を執られた東京大学を退官されました。建築学科ではなく社会基盤学科(土木)に身を置かれる中で感じられたことや、建築の可能性について、お話しを伺いました。

建築に何が可能か

― 3月11日の東日本大震災から1カ月以上が経ちました。発生時はどこにいらっしゃったのですか。

その日は東京大学(以下、東大)で最終講義が予定されていたため大学にいました。会場にはすでに人が集まっていましたが中止にし、皆さんには帰っていただきました。
その後に起こったことを考えると、その判断は間違っていなかったと思います。結局、中止したままですが、多方面から実施してほしいと言われていますので、いずれ講演会のようなかたちで応えたいと思います。

― 4月6日の朝日新聞夕刊に「伊東豊雄さん、山本理顕さん、内藤廣さん、隈研吾さん、妹島和世さんという実力派の建築家5人が話し合い、今後、建築家からの発信を検討中だ」との記事が掲載されていましたが、どのような発信をお考えですか。

隈さんと話をしていて、建築家として何かすべきだという話になったのがきっかけです。発起人をあまり多くしても趣旨がぼやけるように思いましたので、その場で名前の挙がった伊東さん、山本さん、妹島さんを含めた5人で発信することにしました。その内容は宣言文として、いずれ『新建築』誌に掲載される予定です(※同誌5月号に掲載されました)。災害時に慌てて動く人がいるのですが、むしろ若い人に対してメッセージを伝えることが重要だと思っています。一番心配なのは次の時代をつくる若い人が今回の震災で絶望したり悲観したり、能力がある人が建築から離れていくことです。そうならないようにするのが、われわれの役割です。宣言文だけでなく、直接若い人に、われわれが何を思い、何を考えているかを伝える機会をつくろうと考えています。

― 以前、建築界は一般からまったくと言っていいほど理解されていないと雑誌に書かれていましたが、この震災はその状況を変える契機となるのでしょうか。

理解されていない原因は、建築家のクリエイション自体が世の中と乖離しているからです。ですから、変わるべきは建築家です。震災云々ではなく、それができなければ建築の理解はまったく進まないと思います。戦後、建築家がやってきたことは、高度成長期の夢を形にする意味で一定の役割は果たしたと思います。しかし、そのスタイルが、今も求められているわけではありません。

― 内藤さんは、建築家の社会的責任に対してかねてより意識的に活動されていらっしゃいましたが、東大のしかも土木の分野で教鞭を執ることになり、その意識に変化はあったのでしょうか。

東大に勤める以前から、漠然と建築界はゆがんでいると思っていましたが、勤め始めて、その認識が間違っていなかったと実感しました。建築はとても広いテリトリーの中のほんの小さな島です。その中にいると、建築の世界は巨大であり、すべてを網羅していると思ってしまいがちです。もちろん建築は世の中の大事なパーツではありますが、そのカバーする範囲は限られたものです。
建築が存在するためには、インフラから自然環境に至るまで実にさまざまな背景があります。今回のような災害が起こると、普段は見えていない背後にある問題が一挙に顕在化します。建築は、海や山や川といった土台の上に成り立っているに過ぎません。土木という分野は、基本的には自然と向き合っているので、そのことがよくわかりました。建築は閉じていて、そこでは特殊な言語が交わされています。建築家はその中で、いつも夢を見ているように見えます。

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    和光大学E棟(2010 年4 月竣工)。
    平面形状が不定形であることから、構造形式として可塑性の高い鉄筋コンクリートが採用された。

愚者の楽園

若泉敬という人をご存じですか?佐藤栄作のブレーンで、密使として沖縄返還交渉の矢面に立った京都産業大学教授です。「有事の核再持ち込み」を認める密約を、亡くなる2年前の1994年に著書『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』で暴露しました。密約が結果として沖縄の基地固定化につながってしまったことに対する贖罪の意識が、彼を執筆にかき立てたようですが、この著書に「愚者の楽園」という言葉が出てきます。
戦後の50年、われわれは確かに繁栄してきたけれども、これそのものは「愚者の楽園」かもしれない。僕自身がまさに感じてきたことですが、この指摘はそのまま建築界にも当てはまると思います。建築界が目指してきた価値は、平和を享受してきたこの国の夢のようなものです。夢にもよい部分はあります。夢がなければ生きていけません。ただ、あまりにも建築は夢の側に偏りすぎていたのではないでしょうか。もちろん戦争より平和である方がよいに決まっています。しかし、夢はいずれ覚めるものであり、その契機になったのが今回の震災だと思います。戦後の平和な65年の総括をせよという命題を突きつけられた思いです。それは当然、建築界も例外ではありません。

― 先週、石巻、女川、多賀城、東松島とまわってきたのですが、被災状況は極めて深刻でした。

思い出さなければいけないのは、われわれの親の世代がその風景から立ち上がってきたことです。この国は悲惨な経験のたびに立ち直ってきました。東京工業大学の藤岡洋保さんは広島出身ですが、廃墟の中に丹下健三さんのピースセンターが建ち上がるのを見た時、子ども心にも希望を感じたといいます。前川國男さんが焼け野原の横浜に県立音楽堂を建てたのも同じです。
それは希望なのです。ピースセンターや神奈川県立音楽堂に匹敵する建築が今できるかどうかを考えなくてはいけません。建築の可能性が問われているのです。しかし、これまでと同じような建築ジャーナリズムを賑わすだけの建築のあり方では無理です。人間に対する深い洞察、あるいはそれをすくい取るような才能が必要です。丹下健三的な才能なのか、白井晟一的なメンタリティなのか、前川國男や吉阪隆正のようなヒューマニズムなのか、どういう形なのかはわかりませんが、建築界の今のトレンドとはまったく無関係なものだと思います。

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    高知駅(2009 年1月竣工)。
    プラットホームを南北に覆う大屋根は、高知県産スギ集成材のアーチを鉄骨トラスの下弦材で補強する混構造。
    北側(右下部)に鉄筋コンクリートのキャノピーが見える。

― 本当にそういった才能は現れるのでしょうか。内藤さんはかねてより若い人を鼓舞し続けてきましたが、変わることのできないまま今回の震災が起きてしまった印象があります。

今回はそう簡単にはいかないと思います。曖昧なままで放置すれば、この国は本当にダメになります。何も変わらなかったら、この国は長い衰退期に入るでしょう。経済的に生活を変えざるを得なくなり、そうすれば政治的な危機があるかもしれません。変わらなければ、この国はこれまでの貯金を食いつぶしながらいずれ消えていきます。

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    虎屋京都店(2009 年4月竣工)の内観。

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    虎屋京都店テラス。天井材は150mm 間隔に配されたスギの集成材。主構造は鉄骨だが、このスギ集成材が3m以上跳ね出した
    軒と屋根全体の変形を制御する。柱は倫理研究所富士高原研修所より用いられている十字形の熱押形鋼。

チャレンジのない建築に手応えは感じない

― 建築と土木の違いをどのようにとらえていますか。

建築と土木を別々に考えること事態がおかしいと思っています。日本では明治期にできた東京大学のカリキュラムの影響でこの2つの切り分けが定着してしまいました。しかし、建築も都市も土木も、人間の日常生活に対してどのような支えができるかを考える学問であり、そこに違いはありません。実際に構造にしても材料にしても、近接技術を持っています。今後は、建築も都市も土木も、構築的に考えるものとしてのアーキテクチャーという概念でくくるのがよいと強く思っています。僕自身は建築家として得たノウハウをアーキテクチャーという概念の中で展開すればよいと思っていましたから、何の違和感もありませんでした。拡張していけば都市になりますし、自然を相手にすれば土木になります。

― 内藤さんは鉄筋コンクリート造、鉄骨造、木造、またそれらのハイブリッドと、1つの形式にこだわることなく構造を採用しますが、やはり木造にこだわりがあるのではないかと想像します。実際はどうなのですか。

建築においてコンクリートとスチールは、ほとんどやりつくされていると思っています。コンクリートで言えばハインツ・イスラー、エドゥアルド・トロハ、フェリックス・キャンデラが、軽量構造でいえばフライ・オットーとヨルク・シュライヒがすでに大きな地平を切り拓いています。
それに対して木造は、まだまだ手つかずの領域がたくさんあります。海の博物館の展示棟以来、木造に興味をもって取り組んでいるのですが、今でもわからないことが多く、取り組みのすべてがチャレンジです。このチャレンジする気持ちがないと、建築に手応えを感じません。木造は難しく、ちゃんとは解けません。しかし、ちゃんとは解けないからこそ素材の特性を突き詰めようとします。わかっている範囲内で安全にやろうとすると、かえって失敗する。技術に対する慢心は危険です。チャレンジする気持ちを保つために木造にこだわってきただけで、スチールに対してもコンクリートに対しても、僕の持っているノウハウとカンは結構いい線いっていると思いますよ(笑)。

― アルミに関してはどのような印象を持たれていますか。

アルミは電力の塊である、といわれてきました。つまり、アルミで電力を備蓄するという考え方です。つくるときにはかなりの電力を消費しますが、リサイクルに使う電力はさほど多くないので、社会資本としてアルミをストックすることは有効です。耐久性もありますし軽くてよい素材だと思います。社会的な資本ストックとしてのアルミをアピールすべきです。ただ建築に使う場合、オールアルミでなくてもよいと思います。プロパガンダとしては意味があるかもしれませんが、実際にはそれぞれの素材の持ち味、よさがありますから、何でもかんでもアルミでやるのは不自然だと思います。ある特性、例えば熱伝導率が高くて強いといった特徴だけを取り出して、どのように使っていったらよいかを考えた方が、アルミのよさが生かせると思います。

(内藤廣建築設計事務所にて)

ポートレート撮影:小川重雄
建築作品写真提供:内藤廣建築設計事務所

内藤 廣

内藤 廣(ないとう ひろし)

1950年 神奈川県生まれ
1974年 早稲田大学理工学部建築学科卒業
1976年 早稲田大学大学院修士課程修了
1976~78年 フェルナンド・イゲーラス建築設計事務所勤務(マドリッド/スペイン)
1979~81年 菊竹清訓建築設計事務所勤務
1981年 内藤廣建築設計事務所設立
2001~02年 東京大学大学院工学系研究科社会基盤学助教授
2003~11年 東京大学大学院工学系研究科社会基盤学教授
2011年~ 東京大学名誉教授
畔柳 昭雄

畔柳 昭雄(くろやなぎ あきお)

1952年 三重県生まれ
1976年 日本大学理工学部 建築学科卒業
1981年 日本大学大学院博士課程修了
2001年~日本大学理工学部 海洋建築工学科教授